本質を見る目は

日本画から

「流通」と「消費」を

廃ダンボールで表現。

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PEOPLE089
儀間 朝龍TOMOTATSU GIMA
芸術学部 芸術学科
美術領域
日本画コース
(旧美術学部 日本画コース)
沖縄出身
Q

これまでの経歴と現在の活動について教えて下さい

「流通」「消費」をコンセプトに、ダンボールを素材としてアート作品を制作

大学を卒業した後1年間研修生として大学に残り、修了後は名古屋のアパレルの会社に勤めました。働いてはみたものの、自分の力を試したいと考えて東京へ行きました。靴の販売店でアルバイトをしながらイラストレーターになることを目指し、展示に参加したり広告の仕事を行ったりしていました。

28歳のとき、1年間、NYの語学学校へ留学し、帰国後は沖縄で高校の美術教員の機会に恵まれ勤めました。教員として勤めるかたわら作品制作をしていて、2010年にJICA沖縄の企画でサモアへ赴き廃ダンボールを使ったワークショップを行いました。そこから廃ダンボールをノートに再生する「rubodan」が始まり、廃ダンボールを使った作品「POP COLLAGE」が生まれ、現在の活動につながっています。

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Q

名古屋芸術大学を選んだ理由は?

鳥山明さんが大好きで、愛知県への好感度がものすごく高くて

高校時代は沖縄でしたが、そこそこ成績が良かったんです。この成績なら順当に沖縄県芸だと、親にも勧められていました。じつは高校時代夏期講習で名古屋に来ていて、沖縄から出たいと考えていました。それから鳥山明さんのマンガが大好きで、愛知県の話がたくさん出てきます。愛知県にものすごく好感を抱いていました。清洲へ行けば会えるかもという勝手な期待もあって名古屋へ行きたいと。実際には鳥山さんにお会いしたことはないのですが、同級生に清洲から通っている友達がいて、鳥山さんの家の前まで行きました。

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Q

最も役に立った大学時代の経験や学びは?

赤いリンゴを赤く描く、本質を描くことの大切さを学びました。

日本画コースでしたが、高校時代は油絵を中心に描いてきました。それまでの自分の考え方では、光と影で立体を見て形を捕らえる、ということだったんですが、日本画では最初に本質を描けといわれびっくりしました。光があって反射があって回り込みがあって……と油絵的な捉え方ではなく、赤いリンゴを赤いリンゴとして描けと。最初はまったく理解できないでいましたが、ものに対するアプローチが変わりました。それまでは、描きたいものを写真や資料で集めて描いていましたが、現物を直に眼で見るように足を運んで観察するようになり、描く絵が変わりました。今も作っている作品はほぼ実寸で作っている場合が多く、大きさも僕にとっては本質の一つだと解釈しています。そうしたことは日本画から学びました。

Q

名芸のどのような点がこれからも残っていって欲しいですか?

伸び伸びと制作できる環境はなによりも大切。

高校で生徒を見ていて思いますが、あまり厳しくすると伸び伸びと制作できなくなります。自分が高校生だった頃、お世話になった先生というのがコーヒーの淹れ方を教わったくらいで、ほぼ何も言わない先生でした。でも、環境としては本や資料がたくさんあり、技術の高い先輩が身近にいました。あえて好きなことができるように放っておいてくれたのだと思います。今考えると非常に伸び伸びと作品を作れる環境で、名芸にも同じような雰囲気があります。自由に制作できる、自由に考えることのできる、そして先生の言葉がけや友達からの刺激など、恵まれた環境があるように思います。その雰囲気は残していって欲しいなと思います。

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Q

入学したらやるべきことはなに?

アーティストも社会の一員として生きるべき。

アルバイト! バイトで礼儀作法や電話の受け答え、マナーとか、社会人としての作法を身につけた方がいい。アーティストも社会に属しないといけないので、人と接して自分の考えや言いたいことをしっかりと伝えるなど、コミュニケーションできる人になって欲しいと思います。長く美術に携わることをやっていますが、美術の世界は人間の本質的なことを見る場所でもあったりします。美術の世界がすべてではありませんが、美術に触れることで世の中の見方も変わってくると思いますし、いろいろな気付きがあったり行動が変わったりすることもあります。社会と美術はつながっていますし、美術に触れるということは人間として非常に良いことだと信じています。