これまでの経歴と、現在の仕事内容を教えてください。
現在は、作曲家として映画音楽を中心に手がけながら、「こまきこども未来館」で子どもたちにiPadを使った作曲を教えたり、名芸で助手を務めています。
今でこそ音楽を軸に活動の幅を広げていますが、大学卒業後はなかなか方向性が定まらなかったんです。フリーランスで作曲活動をしながら、モデル事務所に入ったり、演劇に参加してみたり…。暗中模索の日々を過ごす中、2013年に「あいちトリエンナーレ」の事業に参加したことが転機になり、そこで培った人脈が現在の仕事へとつなげてくれました。
2014年頃から、初めて音楽を担当した映画がいくつかの映画祭で公開され、そこで出会った監督から依頼をいただくようになって。石原貴洋監督の映画『大阪少女』『大阪闇金』をはじめ、年に1〜2本のペースで映画音楽を制作しています。
名芸を選んだ理由は何でしたか?
幼児期からピアノを始め、もともとは東京の音大へ進むつもりだったんです。でも、自身の音楽性の転換からコンピュータを使った音楽制作に興味が芽生え、DAWが学べるカリキュラムやレコーディングスタジオなどの設備が充実している名芸を受験しました。
入試に向けた楽曲制作では、人の会話や野外の雑音を録音し、切り貼りしたような曲をつくりました。五線の枠にとらわれない楽曲であるにもかかわらず、面接をしてくれた教授は「こういう実験的なことにどんどん挑戦してほしい」と歓迎してくれて。「ここなら自分がやりたいことに邁進できる」と確信したのを覚えています。
最も役に立った大学時代の経験や学びは?
名芸では学びの集大成として、自分の作品を学外に向けて発表できる大きなイベントがあります。なぜか当時の僕には、「今ここで作る作品が、人生の指針になるはず」という確信があり、3〜4年次にかけて作品制作に心血を注ぎました。
「日本人のDNAを音楽で表現したい」という想いから、能とオーケストラ、電子音楽のコラボレーション作品を制作。それは自分の代表作になり、中森信福の世界観を表す核となり、僕の音楽性を評価してくれる石原貴洋監督との出会いにつながりました。
いま興味があることや、ハマッていることは?
iPadやiPhoneで楽曲制作ができる「GarageBand」だったり、アニメーションを作成できる「FlipaClip」だったり、楽曲制作や美術の経験がゼロの人でも簡単に創作を楽しめるツールに注目しています。表現がバリアフリーになり、新しい可能性が生まれる気がするんです。
この大学をめざしている後輩にメッセージを!
音楽でも美術でも、何かを表現するうえで、世の中の流行や型を知ることはとても重要です。でも、それだけにとらわれていると、根なし草で終わってしまいます。今の時代は、誰でもクリエイターになれる環境やツールが整っているし、情報があふれているからこそ、思考力や判断力、そしてセンスを磨くことが大切だと思うんです。
「なんとなくバズりたい」という理由で知識や技術を学ぶのではなく、本当に自分が表現したいこと、自分の「核」となるものを、4年間でとことん突き詰めてください。その経験が大きな強みとなり、人生の指針となるはずです。